1、まず初めに指摘しておかなくてはならないのは、今回の総選挙の元となった高市首相による衆議院解散も、憲法違反の無効な解散である、ということである。
今回も、ということは、過去、自民党の首相によって26回断行された衆議院解散の内、実に22回(今回を含め)は、すべて明白な憲法違反である、という意味である。
昭和27年に、時の首相吉田茂が行なった衆議院解散については、野党民主党の苫米地義三議員が、唯一解散無効の訴訟を提起し、一審の東京地裁は、解散が違憲無効との判断を示した。
しかし、東京高裁は、首相の解散は、内閣の承認を得ていたから有効とし、最終的に最高裁は、国会の解散は高度に政治的行為なので、裁判の対象とはならない、という、理由にもならない理由で、憲法違反の判断から逃げたのである。
この結果、その後、自民党の歴代の首相は、裁判所が何の咎めもしないのを奇貨として、違憲の国会解散を連発し、自らの権力を維持し続けているのである。
野党は、このことをまず第一に論戦の目玉にして、自民党を追い詰めるべきであったのに、ほとんどの野党がこの問題を棚上げし、抽象的な政策論争の土台に引きずりこまれたことが、大きな敗因と言える。
2、政策、公約によっては、政党を判断できない
通常、国会議員選挙において争われることは、具体的な政策である。
それぞれが、国の根本に関わることから、国民の日々の生活に関わる問題まで、耳障りの良い言葉を並べ立てるものである。
しかし、概ね政権を獲った政党が、選挙民に掲げた政策を実行することは稀である。
政権を獲得した政党(特に保守的な党)は、その支持母体である団体の利益を第一に優先した政策を実行するのである。
今回の選挙でも、大半の党は「消費税減税」を政策の柱として掲げている。
自民党は、2年間、食品の消費税を5パーセントにする、と言っているが(それも選挙後早急に検討する、と言うのだから、それが政策、選挙公約と言えるのか疑問である)、同じ政策であれば、現に政権を握っている政党の方が、実現可能性が高いのだから、何もわざわざ野党を支持する必要もない。
このように、選挙における政策、公約などというものは、誰でも好きなことを言えるわけであって、だからこそ、耳障り、口当たりの良い政策、公約を掲げる政党が、真に国民のための政治を行なってくれる保証は何もないのである。
したがって、議員選挙においては、別の判断基準が必要である。
3、判断対象は各政党の立ち位置と政治姿勢
(1) 政党の支持基盤
ほぼすべての政党が、自分達は「国民政党」すなわちすべての国民の利益を代表する政党である、と言う。
つまり、特定の一党一派の利益の代表者ではなく、すべての国民の利益代表者である、と言って、すべての階層の国民からの支持を求める。
しかし、そもそも、すべての国民の利害が例外なく一致する、などということはあり得ない。
現実の社会は、ごく1パーセントの富裕層(大資本家、その他の資産家)と99パーセントの庶民、労働者とに厳然として区分されているのである。
庶民の中にも、大企業の恩恵を多分に受けている小ブルジョアもいれば、最下層の貧民層もいて、千差万別である。
そして、残念ながら、現実の社会は、大企業等経済的な強者の圧倒的な影響力の下に、政治も社会も動かされている。
このような社会では、本当の意味での「国民政党」など存在しないし、同様に、どっちつかずの「中道」なども存在しないのである。
極端に言えば、国民の中には、社会を支配する大企業、富裕層と、一般庶民しかいないのである。
大企業、富裕層に依拠して政治を担当しているのが自民党で、労働者、下層民、一般大衆の利益を代弁するのが共産党を先頭とする真の野党なのである。
その間で中立ぶって振る舞う「野党」は、実質自民党を利する補完勢力である。
自民党が、どんなに一般庶民の味方ぶって良心的な政策、公約を唱えたとしても、それをまともに実行する気など、さらさらないのである。
また、自民党が庶民に口当たりの良い政策を掲げているのを信用して、庶民が自民党に投票したとしても、それが報われることは絶対ないのである。
なぜなら、大企業、富裕層と、労働者、一般庶民の利害は、真っ向から対立しているからである。
労働者、一般大衆の収入が増えれば、大企業、富裕層の利益は減り、その逆の場合も同様で、両者の利害は永遠に対立するものなのである。
そのような、ごく当たり前で基本的な知識もなく、ただ政党の政策、公約を見て、支持政党を決める、などという選挙民は、もう一度、政治のイロハを勉強してから、選挙権を行使してほしい。
(2) 昨年と一昨年の国会議員選挙では、自民党が大敗し、立憲民主党、他の野党が勝利した。
その主たる要因は、自民党とカルト宗教団体統一教会の癒着問題と、自民党議員による裏金問題であった。
そして、その問題は、その後、今日に至るまで、何ら根本的に解決されていない。
統一教会問題については、むしろ、その後、韓国における韓鶴子総裁の裁判の中で、教会と高市首相との癒着が明らかとなり、新たな疑惑が生じている。
外国のカルト集団に支配された自民党、政権党の国会議員大半が、堂々と政治資金規制法に違反して、裏金を蓄えていた事実は、そもそも、自民党とその所属議員が、いかに反国家的、反国民的な集団であるかを、大衆の面前で赤裸々に暴露したものである。
しかも、平気で臆面もなく憲法違反である衆議院解散を行ない、その理由を「自分、高市総理を支持するかしないかを問う」などとほざく自民党が、本当に国民のための政党なのか、政治家なのか、一寸考えれば答えはすぐ分かるはずである。
消費税がどうの、外国人の移民がどうのと言う前に、まずもって、そうした政治に対しての根本的姿勢、態度というものを、心ある野党は、一般有権者に対して何故もっと強く働きかけなかったのであろうか。
4、今回の結果は既に昨年までに決まっていた
(1) 今回の選挙で野党が敗北した理由は種々存在するが、今回の敗北は既に昨年までに決まっていたと言える。
その原因は、ひと言で言えば、政権交代に対する野党のやる気のなさである。
2012年10月の総選挙で、与党の自公は大きく議席を減らし、少数与党に転落した。
その結果、立憲、維新、国民、共産、れいわ、社民の野党が、衆議院で過半数の議席を確保した。
当然、野党第一党の立憲が中心となって、新しい政権樹立のために動き出すのかと期待したが、ほとんどその動きはなく、同年11月には、むざむざ石破第二次政権の発足を許した。
一体に、政党は政権を獲得することが目的なのに、選挙で与党が破れ、野党が政権を担当するチャンスを掴んだのに、これを目指さない態度を示した時から、立憲には、真剣に日本の政治を引き受ける意思のないことを露呈したようなものである。
そのようなやる気のない政党が、どれだけ立派なことを並べても、大衆がそっぽを向くのは当然である。
あの時、たとえ野党内で意見が一致しなくとも、自民党の良識派、公明等に手を入れての連合政権を真剣に指向していたら、事態はどうなったか分からない。
ましてや、翌2013年7月の参院選でも、自公は敗北を喫していたのであるから、野党政権誕生の可能性はさらに広がっていたはずである。
しかし、野田立憲はまったく動かないまま、この千載一遇のチャンスを自ら手離してしまった。
要するに、2009年から2012年にかけて、自党の党首である小沢一郎議員を敵に差し出した野田佳彦ら当時の民主党幹部は、最後まで国民の味方ではなかった、ということだ。
口先では「生活ファースト」「国民のための政治」などと言っても、実際にそれを実現するための政治権力を、それが握れるチャンスがあっても握りにいかない不甲斐ない政党が立憲党である、ということが、一般の国民の目にもはっきりとしていた、ということである。
このことの意味は限りなく大きい上に、これについての立憲の国民に対する罪は、いったん解党的出直しをしない限り、償いきれないであろう。
そのことは、今回の選挙においても見られた。
長年、選挙においては、自己犠牲の精神で(立憲の選挙区に自党の候補を擁立しないなど)協力してきた共産党を、いとも簡単に切り捨て、それまで長年敵対していた公明党と、いとも簡単に結合し、「中道」なる怪しげな選挙母体を作り、創価学会の集票力に期待した立憲の姿勢は、ある意味浅ましいものと言えた。
真剣に政権を獲る意思もないのに、恩義のある政党を蔑ろにしたり、集票のために安直に他党との野合を行う、こうした立憲の無気力、薄情、卑劣さが、有権者の目からは一目瞭然であったことが、今回の惨敗の要因であったことを肝に銘じるべきである。
5、まともな母体を創出すること(政権交代の条件)
(1) 今回の総選挙の結果、自民、維新の与党は、衆議院の約76パーセントとなる354議席を獲得し、絶対的勝利を博した。
一方、野党は、「中道」は167から49に大幅減となり、一応の野党と言える中道、国民、共産、れいわ、社民の総議席数は、わずか82席に止まった。
まさに自民党独裁と言える。
戦後の自民党支配政治の中でも、これほどに野党が低迷したことは、歴史的事件と言える。
物価は上昇し続け、賃金は漸減し続け、社会不安が増大する中で、国民の人権が犯され続けているのに、政治が益々右傾化している状況は、明らかにファシズムの再来と言うべきである。
なぜ、このような危機的状況になったのかについては、早急に正しい情勢分析が求められるところである。
(2) いずれにしろ、我々としては、現状を打開し、あくまでも国民の側に立った政治の実現を目指すためには、なんとしても政界を再編成し、政権交代を推し進めなくてはならない。
そのために、まずやるべきことは、大衆のレベルで救国同盟を結成し、真に国民の生活と権利を擁護し、国際平和を希求する運動を全国規模で展開することである。
今や、労働組合の幹部が、ストライキなどによる自らの運動、努力によらず、総理大臣に媚びて、労働者の生活条件の向上を訴えたり、学校の教師が、生徒に対して、日本の過去の歴史(戦争犯罪など)をまともに教育できない状態の中で、国民の正しい政治判断が困難な時代となっている。
そして、政治家自身も、同じように物事の正確な判断力、認識力が低下してきている。
そのことは政治家のみならず、学者、文化人においても例外ではなくなっている。
こうした国民全体の白痴化現象の原因が、過度の産業のAI化によるものであることは、ほぼ予想できることであるが、我々が真に人間的な社会を取り戻すためには、とにかく、身体を使って行動し、身体を使ってまともな人間関係を作り、身体を使って世の中を変革していかない限りは実現できないであろう。
とにかく、憲法反対でも、物価値上げ反対でも、戦争反対でも、なんでも良いから、それぞれが街頭に出て大きな声を上げ、その中で連帯を強め、仲間をつくり広げ、それを大きく組織化し、政党、政治家を、そして国を動かしていくほかない。
いつまでも選挙結果を嘆いていても仕方ない。
早速、声を上げ、行動に移ろう。
そして、遠くない将来、真の政権交代を実現しようではないか。
2026年3月
「政権交代を実現する会」
代表 伊 東 章