政権交代を実現する会

支持政党をこえて政権交代を実現しよう!

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< 衆議院の解散は、総理大臣の専権事項か? >

(憲法違反の衆議院解散を許すな)

1、石破総理大臣の退任を受けて、令和7年10月に、高市早苗が新しい総理大臣に就任した。

  その後、通常国会での審議をまったくしないまま、本年1月23日に衆議院を解散した。前回の総選挙から僅か1年4ヶ月足らずである。

  高市総理による衆議院解散は、憲法第7条3号に基づく解散であり首相の専権事項である、と言われている。

  果たして、それは正しいのか?

2、憲法上、国会の解散についての規定は、第7条3号と第69条のみである。

  第7条3号は、天皇の国事行為として「衆議院を解散すること」を挙げている。

  第69条は、「内閣は、衆議院で不信任決議が可決された時又は信任の決議が否決されたとき、10日以内に衆議院が解散されない限り、内閣は総辞職しなければならない」とされている。

  つまり、国会のうち、参議院については憲法上解散が定められていないが、衆議院については解散が認められる形となっている。

  しかし、衆議院解散については、いずれの条文も、一体誰が衆議院の解散権限を有するのかの明確な定めはない。

  では、憲法上、衆議院の解散権を有するのが誰であるのかを各条文に沿って見てみよう。

3、一般に、憲法第69条3号では、国会(衆議院)で内閣が不信任決議を受けた時は、内閣が総辞職するか、又は内閣が衆議院を解散するかのいずれかを選択できるとされている。

  しかし、憲法第69条では、「10日以内に衆議院が解散されない限り」(内閣は総辞職をしなければならない)と規定されているだけであって、誰によって衆議院が解散されるのか、つまり解散権の主体はまったく定められていない。

  考え方によっては、「衆議院自身」が自律的に衆議院を解散する権限を有している、と言えなくはない。

  現在の日本の政治形態は、議院内閣制であるから、衆議院の多数派が内閣を組織する権限がある(したがって、衆議院の多数派が内閣不信任を決議すれば、内閣が存続できない、つまり、総辞職するのは当然の帰結である)。

  だからと言って、衆議院の不信任決議に対抗して、内閣が衆議院を解散できると考えるのは、かなり論理的に飛躍があると言わざるを得ない。

  内閣の任命権は、あくまでも衆議院が有しているのであって、衆議院が内閣の不信任決議を出来るのは当然としても、任命権者である衆議院を、任命される側の内閣が解散できると考えるのは、かなり無理があると思われる。

  しかし、憲法第69条の解釈としては、このような理解がごく自然と思われる。

  そもそも、日本国憲法では、国会は国権の最高機関であり、国民の総意に基づくものであるから、それがわずか10数名の大臣によって自由に解散させられる、というのは、明らかに憲法の基本原理に反するものと思われる。

4、一方で、日本国憲法は、三権(立法、行政、司法)分立を原則としており、三権がそれぞれ互いに牽制し合い、特定の一権に権力が集中しない配慮をしていることになっている。

  この立場に立つと、国会(衆議院)が内閣(行政権の頂点)を不信任し、総辞職をさせるのであれば、内閣としては、一旦は自分たち内閣を成立させた国会(衆議院)議員を解任した上で、衆議院自らも改めて国民の信を問うべきとして、衆議院を解散させることができることになる。

  憲法上、内閣が衆議院を解散できる、との明文はないが、実務上、憲法第69条により、内閣の衆議院解散権を認めているのは、以上の論理によるものと思われる。

  しかし、それが妥当ではないのは前述のとおりである。

5、憲法第7条3号による解散と言うものの、そもそも天皇は憲法上、国政については何らの権限を有するものではない。

  天皇が国の政治に辛うじて関わることができる事項は、憲法第7条において特定されており、それも内閣の助言と承認に基づいてのみ行なえるものである。

  したがって、天皇が自らの意思と責任において、衆議院の解散ができるわけではないのである。

  そして、憲法第7条も又、誰が衆議院の解散権を有するかの定めをまったくしていないのである。

  つまり、憲法第7条を衆議院解散の根拠とするわけにはいかない。

6、以上のとおり、辛うじて内閣が衆議院を解散することができる可能性のあるのは、衆議院が内閣不信任を可決した場合のみである。

  ところが、日本では、戦後26回あった衆議院の解散のうち、憲法第69条によるものは僅か4回で、残る22回は(今回の高市解散も含めて)すべて内閣総理大臣の独断によるものである。

  明らかに、憲法上何ら根拠のない違法な解散である。

  何故、戦後長期にわたり、このような憲法違反が許されてきたのだろうか(もっとも、戦後アメリカに占領され、今日に至るまでの80年間アメリカに占領され続けている日本は、安保条約という憲法を超越する法体制の下で、憲法が事実上機能していないが)。

  その出発点は、昭和35年6月(あの安保闘争の年)に出された最高裁判決(いわゆる苫米地事件)にある。

7、苫米地判決

  昭和27年(1952年)8月時の吉田茂首相(自由党)は、憲法第7条3号に基づいて、衆議院を強行解散した。

  これが、戦後2回目の国会解散である。

  この解散は、本来、憲法第7条3号に基づいての解散は出来ないにもかかわらず、いわばこじつけで首相が強引に解散したことから、野党(民主党)の苫米地義三議員が、憲法上無効な解散であるとして提訴した。

  この苫米地議員の理屈は、まったくもって正当なものであった。

  当然のことながら、これを受けた東京地裁は苫米地議員の主張を受け容れ、吉田首相による衆議院解散を無効とする判決を宣告した(但し、その理由は、首相の解散権行使が、内閣の助言、承認を欠いたものである、という奇妙なものであった)。

  ところが、これを受けた東京高裁は、天皇の国事行為である解散宣告につき、内閣の助言、承認が適法に行われたから、解散は有効である、との判断を下した。

  そもそも、天皇には解散権はないのであるから、これに内閣が助言、承認を行なった、と言っても、そもそも一体誰が解散権を有しているのかをまったく無視した判断であり、こじつけも甚だしい判決であった。

  そして、最後の判断をした最高裁は、「衆議院の解散という行為は、高度な政治的行為、国の統治行為であり、司法権の判断は及ばない」と言って、解散の有効、無効の判断を回避したのである。

8、裁判所は、憲法第78条と第81条によって、すべての法的問題についての判断機能、つまり裁判権、司法権を与えられている。

  それには何ら例外は認められていない。

  又、日本国憲法は、欧米のように、別に憲法裁判所を設置していないから、すべての裁判(憲法問題を含めて)は、最高裁を含めた一般の裁判所が行なう責務がある。

  それを、判断対象が、高度の政治行為であるから司法権は及ばない、と言うことは、つまり、裁判所が本来行使すべき司法判断の責任と義務から逃避した、ということである。

  つまり、裁判所としての権能を放棄しているということである。

  これが世上論じられている統治行為論の実態である。

  このとんでもない論理が、その後80年近くまかり通って、歴代の自民党政権が衆議院を長年にわたり牛耳ってきた秘密なのである。

  維新の吉村代表は、「衆議院の解散は総理大臣の専権事項である」とほざいているが、一体、彼は本当に司法試験に通ってきた弁護士なのであろうか、耳を疑うとはまさにこのことである。

  司法試験の権威も地に堕ちたと言うべきや?

9、要するに、(最高)裁判所は、苫米地事件において、本来果たすべき司法権の行使をネグレクトし、逃げ回っているだけなのであり、いまだに総理大臣による衆議院解散の違憲、合憲の判断は、一度もなされていないのである。

  したがって、1度は是非とも最高裁によって総理大臣による衆議院解散の合憲、違憲判断をしてもらわなくてはならないのである。

  しかるに、昭和34年の苫米地事件判決以降70年近くにわたり、この問題については、1度も裁判所の土俵に上せられていないのである。

  まさに、異常事態と言うべきである。

  裁判所の判断というものは、それぞれのケースにより、また時代により変化しうるものであり、往々にして1度出された判断が変更される場合がある。

  ましてや、総理大臣による衆議院の解散については、前述のとおり、過去1度も、その合憲性、違憲性の判断がなされてはいないのである。

  昭和34年の最高裁判例(判決、判例とは呼べないインチキ裁判である)を良いことに、その後も、時の権力者が、自分の都合の良い時に、都合の良いように衆議院を解散し、総選挙で大勝し、権力の座を独占してきている。

  このような憲法違反を堂々と行なって独裁体制を強化してきた自民党に、時の裁判所が何ら牽制もできないのは当然としても、それを、政治家が黙って指を咥えて黙認しているというのは、何とも情けない限りである。

  この際、1人でも2人でも失職した国会議員が、総理大臣による恣意的解散に対して鉄槌を下すべく違憲裁判を提起することを、切に望むものである。

2026年1月

「政権交代を実現する会」 

      

代表 伊 東   章

< 衆議院の解散は、総理大臣の専権事項か? >
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