令和7年10月27日の新聞各社の世論調査では、高市内閣の支持率が軒並み70パーセント超えであるという。
まだ何もしていない内閣の支持率というものほど良い加減なものはないが、今後の期待感を推し量る目安として見るならば、分からないでもない。
それにしても、安倍政権の後継者を自任する高市内閣への期待度がそれ程高いということは、一体何を意味しているのだろうか。
そこには2つの側面がある。
1つは、アベノミクスによって甘い汁を吸った人々の期待感である。
財界、富裕層、そして一部の庶民は、グローバリズム経済の恩恵を受け、莫大な利益、株の配当を受けてきた。
また官僚も、森友加計問題に見られるとおり、政府と癒着して、持ちつ持たれつの関係を築いてきたから、改めてアベノミクス再来となれば、両手を上げて歓迎するであろう。
さらに自民党の国会議員にとっては、今回の高市内閣で裏ガネ議員が完全復活したように、高市内閣万々歳というわけである。
一方で、こうしたアベノミクス政治によって、実のところ犠牲を被っているはずの一般市民が、高市内閣に対する期待感を抱いているのは、経済の活性化、景気の回復によって市民の生活が上向きになることを期待してのことである。
そして、それは直近2度の国政選挙によって野党が政権交代のチャンスを掴んだにもかかわらず、政権をみすみす自民党に譲り渡してしまったことに対するしっぺ返しとも言える。
2度の国政選挙の中で、大半の野党が「消費税減税」と「裏ガネ問題の解決」を訴えていたのであるから、野党が一本化して政権を獲得すれば、その2つの課題はほぼ達成できたはずである。
にもかかわらず、それぞれの野党が党利党略に走り、国民の生活のために大同団結せず、簡単に政権を自民党に譲ってしまったのであるから、もはや野党には頼れない、という感情が高市内閣の高支持に反映したものと考えられる。
いかに経済が発展し、成長率が上がったところで(もっとも、今や経済成長などということ自体、幻想に過ぎないが)、そのことの恩恵を受けるのは、大企業、富裕層とそれに癒着している政治家、高級官僚だけであり、一般の大衆は、多少のおこぼれに与ることはあっても、基本的に貧しい生活が良くなることはあり得ないのである。
21世紀も四半世紀を経て、もはや資本主義経済の寿命はとうの昔に尽きているのに、実体経済とは関わりのない金融資本が、延命するために、様々の手品を使って資本主義経済の延命を続けているのが現代である。
大谷翔平などごく一部の天才的アスリートがアメリカンドリームの波に乗って億万長者にのし上がっているものの、すべての国民が大谷選手になれるわけではないのである。
現在の世界のGDPを考えれば、世界100億人の人間が、等しく豊かな(大金持ちということではなく、十分衣食住が足り、かつ文化的生活が営める程の意味で)かつ平和な生活を送れるはずなのに、何故そうはならないのか、ということを、国民一人一人がもっと真剣に考えるべきであろう。
立憲も国民民主も「我々は中道政治を目指す」と言うが、一体、中道とは何なのか。
現在の世の中には、1パーセントの富裕層と99パーセントの弱者しかいないのである。
99パーセントの中には、富裕層から僅かばかりのおこぼれを頂戴し、貧困層を敵視する層(官僚、学者、芸能人等)も一定程度存在するが、基本的に大富裕層以外は等しく弱者である。
つまり、「中道」という言葉は、聞こえはいいが、それは誰の味方でもない、強いて言えば現在の体制(大勢と言い換えても良い)(つまり今の時代をリードしている支配層=富裕層)に迎合するということである。
我々としては、この中道派を少しずつでも99パーセントの側に引き付けることが当面の課題である。
2025年11月
「政権交代を実現する会」
代表 伊 東 章